大関の役割とは何か?相撲界を支える「縁の下の力士道」

横綱を目指すすべての力士が立ちはだかる、最後で最強の壁――それが「大関」という存在です。

華やかさの裏で相撲界を支える「真の主役」。

今回は、そんな大関の知られざる役割と魅力を解説していきます!

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大関とは何か──相撲界の“支柱”のような存在

やぐら太鼓と相撲のぼり

大関は、力士の階級の中で横綱に次ぐ地位です。

番付表では右上と左上に名前が並び、まさに土俵の中心を支えるポジションに立ちます。

「大関」という言葉は、古い日本語で「大(おお)いに関(せき)わる」、つまり「重要な役割を担う人」を意味します。

このことばが示すように、大関は相撲界のかなめ

番付の頂で華を飾る横綱と異なり、「勝負の軸」=“実力と責任の象徴”として存在します。

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階級のおさらい──相撲の番付とは?

初心者の方にもわかりやすく、力士の主な階級(番付)を整理してみましょう。

  • 横綱よこづな
     → 相撲界の最高位。降格はなく引退までその地位を保つ。
  • 三役さんやく
     → 小結→関脇→大関、という上位3位が「三役」と総称される。
  • 前頭まえがしら
     → ここから「幕内まくうちとなり相撲界の表舞台となる。
  • 十両じゅうりょう
     → ここから「関取せきとり」となり給料が支給される。
  • 幕下まくうち
     → ここまでは「力士養成員」とされ十両入りを目指す立場。
  • 三段目さんだんめ
     → 番付の中位層にあたり、力士の人数も多い。
  • 序二段じょにだん
     → 序ノ口より一つ上の下位階級。
  • 序ノ口じょのくち
     → 一番下の階級で、新弟子がまず所属する大相撲の入門レベル。

大関はつまり、ここでいえば“頂上手前”に立つ力士。

横綱を目指す者にとって「大関昇進」は、人生の分岐点と言えるのです。

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大関になるための道のり

大関への昇進には、明確な目安があります。

正式な規定ではなく慣例ですが、多くの力士がこの基準を目指して努力します。

昇進目安

  • 過去3場所の合計成績が 33勝以上(平均11勝)
  • そのうち1場所は「優勝」または「優勝同点相当」の好成績
  • 安定した体調管理と稽古内容、精神面も考慮される

つまり、短期間の勢いだけでは足りません。

「3場所にわたり安定して上位に勝ち続ける」ことが条件です。

相撲協会が重視するのは、「本当に横綱を目指せる器かどうか」。

わずかな運ではなく、土俵を支えられる安定感と精神力を持つことが求められます。

意外と知らない「昇進の儀式」

大関昇進が決まると、力士は日本相撲協会の理事長の前で口上こうじょうを述べます。

これは「これからの覚悟」を宣言する、伝統的な挨拶の式です。

たとえば、関脇・琴奨菊ことしょうぎくが昇進したときの口上は——

「日本の心を忘れず、精進してまいります」

というものでした。

この“日本の心”という言葉が、まさに大関の象徴です。

結果だけでなく、礼節、努力、感謝の気持ちを持つこと。

それこそが「大関の心構え」とされているのです。

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責任の重み──「カド番」とは?

階段と下の矢印

横綱が降格しないのに対し、大関には降格制度があります。

それが「カド番(角番)」です。

  • 大関が1場所で負け越す(7勝8敗など)
    → 次の場所が「カド番」
  • カド番で再び負け越すと関脇に降格
  • 降格後、再び10勝以上を挙げれば“大関復帰”が可能

つまり、大関は常に崖っぷちのプレッシャーと闘いながら相撲を取っています。

毎場所「勝ち越すのが当たり前」とされる立場。

だからこそ、勝てなくなったときの重圧や批判も大きくのしかかります。

ファンの声も期待も背負い続ける——

これが「大関の覚悟」です。

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実は横綱より古い!大関の歴史

相撲の土俵2

意外に思うかもしれませんが、「大関」という称号は、あの「横綱」よりもずっと古いのです。

江戸時代、まだ「横綱」という制度ができる前──番付の一番上にいたのは大関でした。

つまり、当時の相撲界において「大関こそが最高位」。誰もが目指す頂点だったのです。

江戸庶民が熱狂した“看板大関”

江戸の街では、勧進相撲かんじんずもう(寺の修繕資金集め)の興行が大きな娯楽でした。

そして、その主役を飾るのが「看板大関」。

力の強さだけでなく、観客を惹きつける華やかさや人気も重視されました。

大関の取り組みが始まると、土俵の周りは黒山の人だかり!

江戸庶民にとって、大関はまさに“町の英雄”だったのです。

「横綱」はもともと称号だった

では、「横綱」はいつ登場したのでしょうか?

実は、当初の横綱とは“地位”ではなく、「特別な強豪大関」にだけ許された名誉の証でした。

神聖な白麻の綱を腰に締める儀式から、「横綱を締める大関」と呼ばれ、それが次第に称号として定着していきます。

つまり──横綱とは「選ばれし大関」に与えられた名誉の象徴だったのです。

制度としての横綱、伝統としての大関

明治時代になると、ようやく横綱は最高位として制度化されます。

それでも、大関の存在感は衰えませんでした。

土俵上では、今も「横綱・大関」が相撲の屋台骨を支え、格式高い地位として尊ばれています。

かつての“看板大関”たちの誇りは、現代にも生き続けているのです。

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名大関たちが示した「強さ」と「誇り」

貴景勝の優勝
出典;https://www.sanspo.com

歴史を振り返れば、横綱には昇進しなかったものの、大関として長く輝き続けた名力士が数多く存在します。

彼らは勝ち負けを超えて、「相撲」という伝統文化に美学を刻んだ存在です。

そこには一人ひとりの「生きざま」がにじんでいました。

千代大海――荒々しさの裏にある繊細さ

突っ張り一本で時代を築いた千代大海ちよたいかい

その激しさの裏には、繊細で真面目な一面がありました。

一度背中を痛めて引退の危機に瀕しながらも、ファンの声援を胸に戦い続けた姿は、まさに「強く、優しい大関」の象徴でした。

貴ノ浪――不屈の努力で掴んだ誇り

平成の幕開けとともに現れた貴ノ浪たかのなみは、静かな情熱を内に秘めた努力の人。

度重なるけがにも折れず、常に基本を大切にした稽古一筋の相撲。

彼の真摯な姿は、「無冠でも名大関であり続ける誇り」を多くのファンに刻みました。

琴光喜――正攻法を貫いた職人肌

真っ向勝負を信条とし、型を守る相撲で知られたのが琴光喜ことみつき

派手さよりも安定感、勝負よりも自分の理想を優先した職人肌の力士でした。

冷静な取り口に、愚直なまでの責任感――そこには日本的な「実直の美学」がありました。

把瑠都――異国の誠実、温かき闘志

エストニア出身の把瑠都ばるともまた、大関として印象深い存在です。

恵まれた体躯を誇りながらも、土俵では驕らず、礼儀と笑顔を忘れない。

その人柄が、日本人力士とは異なる形の「誇り」として、相撲界に新しい風を吹き込みました。

栃ノ心――苦難を越えた“再生の象徴”

ジョージア出身の栃ノ心とちのしんは、何度も大けがに泣かされながらも、絶望を越えて復帰した復活の象徴。

片足で立つようなリハビリ生活を経て、再び大関の座に返り咲いたその姿は、相撲界だけでなく世界中のファンを感動させました。

豪栄道――地元大阪の“庶民派大関”

生まれも育ちも大阪。豪栄道ごうえいどうは、地元の声援を力に変えるような“人情相撲”が魅力でした。

決して派手ではないが、どの一番にも誠実に向き合う姿が親しみを呼び、長く愛されました。

引退後も指導者として地元に根づき、変わらぬ誇りを背に相撲道を伝え続けています。

貴景勝――現代の衝撃と再起の強さ

令和の時代に現れた貴景勝たかけいしょうは、圧倒的な存在感と圧倒的な安定感を両立させるタイプ。

若手時代の勢いと、けがや挫折を乗り越えた復活のドラマが重なり、観客の心に強い印象を残しました。

冷静な取り口と、逆境でも崩れない精神力は、大関としての責任感と美学を体現しています。

横綱を支える現代の“心臓部”として、ファンの信頼を長く保ち続ける力強さが光ります。

“名大関”に共通するもの

貴ノ浪の誠実、栃ノ心や把瑠都の復活劇――彼らはいずれも「勝つこと」だけを目的とはしていませんでした。

自らの信念や礼節を貫くことこそが“相撲の美学”。

そこには、横綱でなくても決して色あせない「強さ」と「誇り」が確かに輝いていました。

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大関と横綱のちがいを整理してみよう

相撲の仕切り2
大関横綱
地位2番目最上位
昇進条件明確(3場所33勝など)明文化されず成績+品格
降格制度あり(2場所連続負け越し)なし(引退のみ)
役割相撲界の安定した支柱相撲界の象徴的存在
求められる資質安定感・責任感精神性・人格・神聖性

つまり、横綱が「理想の象徴」だとすれば、大関は「現実の主力部隊」といえるポジションです。

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心を支える──縁の下の力持ちとしての大関

横綱が国技の象徴なら、大関は相撲界を支える“縁の下の力持ち”です。

土俵の上ではもちろん、裏方としても相撲の伝統と秩序を守り続けています。

そんな大関たちが果たしている本当の役割と、その誇り高き存在意義を見つめます。

大関の役割と本質

大関は「土俵の本質を守る人」でもあります。

取組だけでなく、部屋の弟弟子の指導、巡業での土俵整備、ファン対応など、さまざまな責任を担っています。

横綱が休場した場合、横綱不在の本場所を実質的に引っ張るのも大関です。

単なる順位以上の“相撲界の安定装置”としての役割を果たしています。

現代の大関の新しい形

令和の大関たちは、伝統とともに現代のプレッシャーとも闘っています。

SNSでの注目、外国人ファンの増加、報道の速さなどの環境変化にも対応し、淡々と稽古を重ねて一番一番に自分の相撲をぶつけます。

ファンからは「横綱不在でも大関たちがいれば安心できる」という声が多く寄せられ、その信頼こそが「強さの裏にある誠実さ」を物語っています。

勝ち負けを超えたスポーツとしての意味

大関という地位には、不思議な魅力があります。

そこには「ただ強い」ではなく、「強くあり続ける」ことの厳しさと誇りが宿っています。

横綱が一人だけでは相撲界は成立しません。

横綱の相手を務め、観客を盛り上げ、若い関脇を育てるのが大関の役目です。

これは名舞台の主演を支える名脇役のような存在で、表に出すぎず、全体の空気を締める力を持っています。

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おわりに

横綱が相撲の象徴だとすれば、大関はその心臓部といえる存在です。

土俵の上でも、裏方としても、大関たちは相撲という世界を支えています。

彼らは勝利を重ねるだけでなく、後進を導き、伝統を受け継ぐ大切な役割を担っています。

大関こそ、まさに“縁の下の力士道”を体現する存在なのです。

次に土俵を目の当たりにするときは、その一挙手一投足の中に、深く息づく日本の精神文化を感じられるはずです。

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