奥歯のうしろの歯茎が腫れて痛い!
これを「親知らず」と聞いて、なぜそんな名前なのかと思ったことはありませんか?
じつは親知らずいう名前がついたのには、ちょっと深いワケがありました。
今回は、親知らずという名前の由来や意味などを解説したいと思います。
親知らずとは?
親知らずとは、親不知、と書く場合もあります。
しかし本当の名前は、『第三大臼歯』と言います。
ちょっと慣れないと難しい名前なので、『智歯』とも呼ばれています。
ちなみに歯医者さんでは、専門用語で「8番」なんて言ったりします。
前から8番目の歯という意味です。
親知らずは、永久歯がすべて生えそろってから数年後の、だいたい10代後半〜20代前半あたりで生えてきます。
場所は、上下左右とも、それぞれ奥歯のさらに奥に、1本づつ生えてきます。
1本づつと言っても、上下左右のすべてに生えてくるわけではありません。
人によって個人差があり、1本だけだったり、または全く生えてこない、という人も4人に1人はいるようです。
親知らずの困りごと
誰もが経験するのは、親知らずの痛みでしょう。
親知らずが途中まで生えかかっている状態の場合、歯肉が部分的に被っていることで不潔になりやすく、歯肉の炎症が起こりやすくなります。
この炎症が周りの軟組織や顎骨(あごの骨)に広がると、顔が腫れたり、口が開きにくくなったりすることもあります。
また、親知らずの生える方向が悪いことも多く、そうなると歯茎を腫らせたり、強い痛みを生じることもあります。
隣りの奥歯などにダメージが及ぶこともあるため、歯医者さんの判断によって、歯肉を切開したり、抜歯する処置が行われることもあります。
親知らずについて問題を感じた場合は、まずは最寄りの歯科科医師に相談することが肝心です。
親知らずが生えるのはなぜ?
太古の昔、私たちのご先祖様は、木の実や動物の生肉、穀類など硬いものを食べていたため顎が発達していて、親知らずが生えるスペースがじゅうぶんにありました。
彼らにとっては歯は生きていくために必要不可欠のものであり、親知らずは硬い食べ物を噛み砕くために、とても重要な役割を果たしていたようです。
しかし今では硬いものを食べる習慣がなくなったため、顎が小さくなり、親知らずがうまく生えにくくなったと考えられています。
それでも無理に生えてこようとする親知らずは、斜めに生えたり、半分だけ埋まったりするケースが増えているようです。
親知らずによる歯のトラブルは、人類の歴史としては、最近出てきた症状なのです。
親知らずの名前の由来は?
親知らずの名前は、その名のごとく、「親が知らないうちに生えてくる歯」のことを意味しています。
これにはいくつか由来がありますのでご紹介します。
①親の平均寿命が短かった
親知らずは、永久歯がすべて生えそろってから数年後の、だいたい10代後半〜20代前半あたりで生えてきます。
昔は親の平均寿命が50代ほどだったため、親知らずが生えてくるころには親はすでに亡くなっていることが多かったようです。
親が知ることなく、生える歯。
だから「親知らず」という名前の由来となったようです。
②親元を離れた頃から生えてくるため
小さい頃は、親に仕上げ磨きをしてもらったり、口の中を見てもらう機会が多いですよね。
しかし親知らずが生えてくる年齢になると、もうそれはなくなってくると思います。
親が子供の歯を見てあげることのなくなった年頃に、知られることなく生えてくる歯。
だから「親知らず」という説があります。
③乳歯の生え変わりではないから
普通の歯は、乳歯は抜けると永久歯が生え変わって出てきます。
乳歯が親で、その親元から永久歯(子供)が生えてくるというイメージです。
しかし親知らずだけは、何もなかったところから生えてきます。
このことから親知らずという名がついたとも言われています。
「親知らず」は英語でなんて言うの?
第三大臼歯を『親知らず』なんで呼ぶのは、日本だけなのでしょうか?
じつは英語では、こんな呼び方をします。
Wisdom tooth 「知恵の歯」
「大人になって物事の分別がつくようになった頃に生える歯」という意味で名付けられたそうです。
日本とは意味が違うものの、俗称で呼ばれていることは共通しているのですね!
歯以外にもある「親知らず」
親知らずは歯だけではありません。
我が国には、「親不知」という名前の有名な場所があり、その由来もまた悲しいものです。
よろしければご覧ください。
親不知・子不知
出典;https://www.itoigawa-kanko.net
親不知という場所は、新潟県糸魚川市にある、崖が連なった地帯です。
正式には、『親不知・子不知』といいます。
日本海の海岸の断崖絶壁に沿って、約15km続く狭い砂浜があるだけです。
出典;https://ja.wikipedia.org
断崖と海との間に残されたわずかな岸辺を通行するのは極めて困難で、古くから交通の難所として知られていました。
現在は、高速道路や国道、北陸新幹線も整備され、快適に通行できるようになりました。
遊歩道を使えば、波打ち際を見学することもできます。
見学まではできるものの、親不知の海岸は荒波砕けるほどですから、波打ち際を通行することはできません。
こんな断崖が15kmも続くのですから、交通がなかった昔は波打ち際を歩くしかなく、通行するにも命がけだったことわかります。
そこで、親不知・子不知の名前の由来を見ていきましょう。
①行く手を阻む難所
親不知の名前の由来はいくつかの説があります。
まず一説では、あまりにも断崖と波が険しいことで、「親は子を、子は親をかえりみる暇がない」という例えから、この名が付いたとされています。
たとえ親子でも、お互いを気遣う余裕がなくなるほど命がけの難所だったようです。
②平安時代の悲しい伝説
平安末期の源平合戦真っ只中の時代。
越後の国(新潟県長岡市)に移った平頼盛(平清盛の弟)を追って、妻と2才の子どもがこの地を目指したときのお話です。
京都から越後を目指して、途中この難所を越える際に、懐の我が子を海に落としてしまい、波にさらわれてしまったのです。
悲しみのあまり、妻はその時のことを歌に詠みました。
親不知 子はこの浦の波枕 越路の磯の 泡と消え行く
以後、その子どもがさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになったという由来があります。
現在の親不知の断崖絶壁は、全国的に有名な観光地になっています。
親不知記念広場の展望台から海岸線を眺められますが、その光景は、当時の苦難が想像できるようです。
▼親不知・子不知の空撮動画がありましたので、興味のある方はご覧になってください。
▼親不知・子不知の地図
おわりに
親知らずの名前の由来はいくつかありましたが、平均寿命が短かった時代に、我が子の歯を最後まで見てあげられなかったというのは、寂しい気持ちになりますね。
現在は医療技術の進歩や食生活の変化などによって平均寿命も伸び、親どころかおじいちゃんおばあちゃんまでもが、孫の親知らずを見られる時代になりました。
そうなると「親知らず」という名前も数世代先には忘れ去られ、そもそも親知らずがヒトの歯として存在しなくなるときが来るのかもしれませんね。