泥棒が唐草模様の風呂敷を使うのは理由があった!意味や由来を紹介!

あなたが想像する泥棒といえば、どんな姿をしていますか?

唐草模様の風呂敷を背負っていたり、ほっかむりしている姿ではないでしょうか。

マンガに出て来る泥棒は、なぜかいつもそんな姿ですが、これには意外な理由があったようです。

今回は、泥棒がなぜいつも唐草模様の風呂敷を使っているのか、解説したいと思います。

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唐草模様とは?

唐草模様

唐草模様とは、渦巻き模様に、複数の曲線を組み合わせた模様です。

これは、植物の葉・茎・ツルが絡み合っている様子を表しています。

実は唐草模様とひとことで言っても種類はさまざまで、花が組み合わされた唐草模様もあります。

牡丹唐草、葡萄唐草、菊唐草、蓮唐草、桐唐草など・・・

モチーフとなった花の数だけ、唐草模様のバリエーションがあります。

唐草模様は、着物の生地、花瓶や香炉など、実にさまざまな物に用いられています。

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唐草模様の由来は?

唐草模様の由来は一体何だったのでしょう?

その始まりからみていきましょう。

古代エジプトから世界中を魅了

アラベスク模様

意外ですが、唐草模様は日本発祥の模様ではありません。

古代ギリシアの神殿などの遺跡で唐草文様の原型が見られたことから、古代エジプトやメソポタミアから始まり、世界各地に広がっていったと考えられています。

先端をどこまでも伸ばしてゆくつる植物がモチーフの唐草模様。

そのエネルギッシュな生命力に、文化も美意識も違う世界の人々を魅了していきました。

唐草模様は、英語で言うと「アラベスク(arabesque)」

「アラビア風の」という意味です。

今でもヨーロッパでは、建築や芸術作品などに多く用いられています。

日本へは飛鳥時代にやって来た

中国の模様

日本へは、奈良時代(710~794年)に、中国を経て渡来しました。

奈良時代は、すでに唐草模様だけでなくさまざまなデザインの模様があり、大陸から伝わった新しいスタイルを取り込んだ時代でした。

唐草模様は次第に、キリ、フジ、松竹梅など身近な種類の植物にうって変わり、和様式となって日本独自の展開を遂げていきました。

江戸時代(1603年~1868年)になると、唐草模様は風呂敷の模様として広く用いられるようになりました。

なぜならつる植物は生命力がとても強いことから、「長寿」「子孫繁栄」の象徴として、縁起の良いものと考えられていたからです。

そのため、唐草模様の風呂敷は婚礼用の嫁入り道具を包む際にも、使われていたそうです。

明治時代に風呂敷が大流行

唐草模様の風呂敷

明治時代(1868~1912年)になると、風呂敷そのものが収納道具として大活躍するようになりました。

そして昭和30~50年代ごろには、おなじみのあの唐草模様の風呂敷が大流行!

年間で150万枚も売れたとされ、「一家に一枚はある」という状況だったそうです。

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泥棒はなぜ唐草模様の風呂敷を使っているの?

忍び足の泥棒イラスト

そこで、なぜ泥棒は唐草模様の風呂敷が定番なのでしょうか?

それには、泥棒の賢い盗みの手順が関係しています。

泥棒の時短テクニックだった

前述したように、明治~昭和にかけて、唐草模様の風呂敷は流行品だったので、どこの家庭にでも必ずあるものでした。

この風呂敷は日常的に使うため、タンスの一番下にしまっておくのが定番だったそうです。

さらにこの時代は、タンス上の段には高価な着物や宝石などの貴重品、下に行くほど日常使いのもの、となっていたそうなのです。

ですので、盗みの時短テクニックとして、下の段から開け、まず風呂敷を盗み出し、開けっ放しにしながら一段づつ上を開けて盗みを働いていたのです。

唐草模様の風呂敷はみんな持っていたから怪しまれない

さらに、唐草模様の風呂敷はみんな持っている時代でしたから、泥棒がこの風呂敷を持って歩いていても誰も気にも留めなかったそうです。

確かに今の時代でしたら、ちょっと怪しい人物に映ってしまいますね。

マンガのような、泥棒ヒゲや唐草模様のほっかむりは、あとから脚色されたものだそうです。

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おわりに

唐草模様が昔の定番品だったとしたら、確かに泥棒が堂々と持って歩いていても、誰も不信に思わないかもしれませんね。

唐草模様の風呂敷を使っていた様子をマンガで見たことで、私たちは「泥棒=唐草模様」のイメージが定着してしまったようです。

でも実は、唐草模様はさまざまなテーマで世界を魅了し続けている素晴らしいデザインであることは忘れないでおきたいですね!

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