ひな祭りの由来や歴史とは?ひな人形の意味や飾り方についても紹介!

壇に飾られた人形たち。その透き通るような白い頬、薄くて赤い唇。

ひな人形の繊細で美しい姿に、日本の女の子たちはどれほど心を奪われてきたことでしょう。

今回は、女の子の幸せを祈る春の祭典「ひな祭り」の歴史、ひな人形の意味、ひなまつり料理の意味などについてもご紹介します!

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ひな祭りとは?

ひな人形

3月3日はひな祭りです。

ひな祭りとは、華やかにひな人形を飾って、女の子の健やかな成長と幸せを祈る行事です。

ひな祭りは別名「桃の節句」「上巳じょうしの節句」などとも呼びます。

女の子のいる家庭では、この日になると、押し入れにしまい込まれている木箱の中から、繊細で美しい人形たちを出し、お供え物をしてお祝いします。

そんな「ひな人形」は、子どもたちに災難や病苦が降りかからないよう、厄をはらうための身代わりとされています。

子供の健やかな成長を願う「ひな祭り」は、いつの世も変わらない親から子への愛が込められた、世界に誇るべき日本の伝統文化のひとつです。

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ひな祭りの由来・歴史

ひな祭りの歴史は大変古いことから、その由来には諸説あり、さまざまな解釈にさらされているようです。

ここでは最もよく知られている説でご紹介いたします。

ひな祭りは、中国の「清め・厄払い」の風習と、日本の神道「人形に厄を移して流す祓い」の風習が合わさって根付いたものといわれています。

そこで、中国と日本の風習が合流していく歴史の流れを見ていきましょう。

中国での由来

曲水の宴

出典;https://ja.wikipedia.org

古代中国では、3月の一番初めの日(の日)を、上巳じょうしの日」と呼びました。

この日は忌日とされ、人々は清めと厄払いのために、井戸や川で足を洗って厄を流すという習慣がありました。

最初は沐浴だったのですが、3月はまだ水が冷たい時期なので、足を水につけるだけになり、着物の裾を濡らす程度のものでした。

やがてこれが川辺でお酒を酌み交わすものになり、のちに有名な曲水きょくすいえんと呼ばれる行事へと発展していきました。

「曲水の宴」とは、川のほとりの岸辺に座って、上流から流れてくる盃が目の前を通りすぎないうちに詩歌を詠み、盃を取りあげてお酒を飲むという風流な行事です。
日本でも、平安時代に宮中や貴族のあいだで盛んに行われていたそうです。

日本での由来

人型流し

出典;https://www.jalan.net

一方、農耕民族の日本でも、独自のけがれを祓う習慣がありました。

春という田植えが始まる大切な季節、農耕を見守っていただける神様をお迎えするための清めの儀式です。

この時に、紙で人間の形に切り取った人形ひとがたというものを作り、これで体を撫でて心と体の穢れを人形に移し、川に流していたのです。

ちなみにこの様子は「源氏物語」や「栄華物語」にも登場しています。

これは現在でも、埼玉県の川越氷川神社や、東京の大國魂神社での「人型ひとがた流し」、鳥取県の因幡地方や、和歌山県の吉野川や紀ノ川流域で行われる「流し雛」としてその姿をとどめています。

平安時代からは「ひな遊び」

川に流されていた「人形ひとがた」。

祓えの道具としてその場限りの人形でしたが、紙製でも技術の発達とともに装飾的なものとなり、室内に飾るようになっていきました。

これが「ひな祭り」の源といわれています。

またそれとは別に、その頃はひな人形ではなく「天児あまかつ」「這子ほうこ」などと呼ばれた子供の形の白いぬいぐるみがあり、女の子の枕元に置いてお守りのようにしていました。

これは、現代と比べて医療が未発達だったことや、食糧事情、社会制度など諸々の原因で、次々に早逝してしまうことが多い時代だったため、子供が病気せず、無事に成長して欲しいと願う切実な親心が、この人形に託されていたのです。

やがて平安中期ごろになると、人形には美しい衣装が着せられ、男女の区別もでき、「比々奈ひびな」と呼ばれておもちゃとして遊ばれるようになり、女の子主体の「ひな遊び」の風習が生まれました。

それは単に遊ぶだけのものではなく、衣裳の着付けや名称、歴史や風俗などを学ぶ意味合いもありました。

そのひな遊びの様子は「源氏物語」や「枕草子」などにも登場し、日本らしい歴史を感じます。

いつの時代も、女の子は「お人形遊び」が大好きなのですね。

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室町時代からは「飾り雛」へ

ひな人形室町時代

出典;http://www.sansai-tamaki.com

「穢れを祓う儀式」がやがて「ひな遊び」と結びついて広まり、室町時代になると家に人形を飾ってお供え物などをしてお祝いするようになっていきました。

しかし、人形が豪華になっても人間の代わりとしての人型ひとがたの意味は失われておらず、祝ったあと人形を川に流す遺風は残されていました。

そのため人形は毎年新しいものを作られましたが、室町時代以降になると、紙製だった人形も次第に押し絵のもの、土焼きのもの、さらに胡粉ごふんを塗ったものに変わり、

毎年くり替えして飾る、現在のような飾り雛「ひな人形」が誕生しました。

江戸時代に「五節句」が誕生

ひな祭り江戸時代

出典;https://ja.wikipedia.org

江戸時代になって「五節句」の制度が定められたのをきっかけに、女の子のお祝いとして「桃の節句」が民間に広まっていきました。

江戸時代の大名の家では、女の子が嫁入りして初めての節句には、男女2体の「内裏雛だいりびな」を飾ったり、公家では女の子が生まれると、お祝いとしてひな人形を贈るようになりました。

庶民はというと、当時は草餅に白酒を供える程度でしたが、やがて小さな屏風を立てかけたり、布で作った内裏雛を飾り、世帯道具や嫁入り道具をかたどった調度品を並べるようになりました。

そして江戸中期になると、女の子の初節句には母方の実家からひな人形を贈ってお祝いするようになるなど、桃の節句は民間に着々と浸透していきました。

こうして、3月3日に娘の幸せを願って人形を飾る風習は行きわたっていき、ひな人形も平安時代の宮廷を模した「雛壇ひなだん」のひな人形へと進化。

「ひな祭り」の呼称が一般化していったのです。

「桃の節句」の語源は、昔から中国で災厄をよせつけないとされる桃の花びらが入った「桃花酒とうかしゅ」を飲む風習があったことに由来しており、平安時代の貴族たちも好んで飲まれていたようです。

明治時代に全国的に普及

そして現在のようなひな祭りが定着したのは江戸末期になってからといわれていますが、

江戸時代は都市だけの風習で、全国的に広がったのは明治以降です。

商業の急速な発展が、上流社会にあやかりたいと願う庶民の気持ちをうまくとらえて、豪華なひな飾りを流行させたともいわれてます。

ちなみに「五節句」の制度は、明治6年の改暦を期に廃止されましたが、今も季節の民間行事として息づいていますね!

ご節句日にち意味
人日じんじつの節句1月7日七草粥の日として知られるお正月の節句
桃の節句3月3日ひな祭り
端午たんごの節句5月5日こどもの日
七夕しちせきの節句7月7日七夕
重陽ちょうようの節句旧暦9月9日菊の節句とも呼ばれる長寿を祈る節句
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ひな祭りはいつからいつまで?

ひな祭りカレンダー

ひな祭りの日は「3月3日」ですね。

しかし、ひな人形は早くから出されている光景を見たことがあると思います。

では一体どのくらいの期間、ひな人形を飾っておくのがベストなのでしょうか?

ひな人形はいつから飾るの?

ひな祭りのひな人形は、2月中旬頃から、また遅くともひな祭りの1週間くらい前には飾り始めるのが一般的です。

ひな祭り前日に飾る「一夜飾り」は縁起が良くないとされているので、避けたほうが良いでしょう。

ひな人形を飾る意味は、子供に厄災が降りかからないよう厄を祓うための身代わりとなってもらうためですので、余裕を持ってお飾りし、おひな様を楽しみましょう!

小さなお子様やペットがいる家庭などの事情で、当日ギリギリに飾りたい家庭もあると思います。 一夜飾りはもちろん決まりではありませんが、なるべく前日までには出して飾り、お子様への想いや成長などを家族で和やかに語り合う時間を作りたいですね。

ひな人形はいつ片付けるの?

よく昔から「ひな祭りが終わっても飾り続けていると、お嫁にいくのが遅くなる」といわれていますね。

もちろんこれは科学的な根拠はありません。

「季節に合わせたものは、いつまでも出しておかないで早く片付けましょう」という”しつけ”の意味の俗信と言われていますので、あまり気にせず、天気の良い乾燥した日を選んでひな人形の片付けをしましょう。

ひな祭りのルーツ「桃の節句」はもともとは旧暦の3月3日(今でいうと4月の上旬頃)。今でも旧暦でお飾りする地域もあるため、4月中旬までひな人形を飾っているところもあります。
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ひな人形の種類・意味とは

ひな人形7段

日本各地には様々な形式のひな人形がありますが、ひな人形の意味はほとんどが同じとされています。

ここでは現在、最も標準的な「7段飾り」のひな人形の種類・意味・飾り方についてご紹介します。

ぜひその意味を考えながら、ひな人形を楽しく飾ってみてくださいね。

1段目から7段目まで、さまざまなひな人形とお道具類を見ていきましょう。

1段目(最上段)・内裏雛

内裏雛

内裏雛だいりびな男雛おびな女雛めびな)。

ひな人形飾りは、結婚式の場面を表現したものですので、まさに主役のお二人です。

一般的に、向かって左が男雛右が女雛です。現在の結婚式でもそうですね。

ただし、京都風ですと反対の位置で飾ります。

なぜなら公家中心の社会である京都では「左が上位」とされているためです。

男雛を「お内裏様だいりさま」、女雛を「おひな様」と呼ぶのは、童謡『うれしいひなまつり』が元となった誤りです。「内裏雛」とは男雛と女雛の2人1組を表します。

2段目・三人官女

ひな人形三人官女

三人官女さんにんかんじょ

お内裏様とお雛様のすぐ下に就き、ひな壇での饗宴をしっかりサポートしてくれる、頼もしき方々です。

三人官女のうち、ひとりだけ眉毛がなく、お歯黒をしている官女がいます。

すなわちこの方だけ、既婚者ということですので、お局さま的な立場でしっかりサポートしてくれることでしょう。

既婚者の官女は真ん中に。あとの2人は、外側の脚が前に出るよう、左右に女官を立たせます。

3段目・五人囃子

ひな人形五人囃子

五人囃子ごにんばやし

まだ元服前の未成年(当時は12~16歳から成人)なので、髪を結っていません。

すなわち少年楽師というわけですが、幼い頃から稽古に励んでいるため、プロ顔負けの見事な演奏で場を盛り上げてくれます。

向かって左から、太鼓たいこ大皮鼓おおかわつづみ小鼓こつづみ・笛・扇を持った謡い手の順です。

4段目・随身

ひな人形随身

随身ずいじん

聞き慣れないワードがでてきました。

謎に包まれた2人の正体は、お内裏様とお雛様を守る「用心棒」です。

向かって左側に右大臣うだいじん(若者)、右側に左大臣さだいじん(おじいちゃん)

中央には、菱餅ひしもちと、掛盤膳かけばんせんを置きます。

5段目・仕丁

ひな人形仕丁

仕丁しちょう

ひな飾りの中では唯一の庶民出身、宮廷にお仕えする雑用係トリオです。

怒り・泣き・笑いの豊かな表情をした3人組ですが、地方からの労働者として無報酬で働かせられていたため、怒ったり、泣いたりするほど辛い立場ではありますが、笑うような喜びもあったといいます。

表情豊かな仕丁を飾るのは、表情豊かな子に育ちますように、という願いが込められているそうです。

向かって左から、熊手、ちりとり、ほうきを持っています。

さらに左端にはたちばなを、右端には桜を飾ります。

6段目・嫁入道具揃

ひな人形嫁入道具揃

嫁入道具揃よめいりどうぐぞろい

ここからは人形はいません。

しかしひな壇を一層豪華に仕立て上げてくれるのは、この金蒔絵かなまきえの調度品の数々といえます。

平安時代の大名家の姫君の婚礼の際に用いられた嫁入り道具を、そのままそっくり縮小されており、その優雅できらびやかなミニチュア世界に、一体どれほど多くの少女たちの心をつかんできたことでしょう。

では、どのようなお道具があるのでしょうか。

箪笥たんす長持ながもち鏡台きょうだい針箱はりばこ重箱じゅうばこ火鉢ひばち衣裳袋いしょうぶくろ茶道具さどうぐ、などが一般的ですね。

並び順に特別なしきたりはなく自由でいいとされていますが、よく見られるのは向かって左端に箪笥、右端に茶道具などが置かれています。

7段目(一番下)・御輿入れ道具

ひな人形御輿入れ道具

御輿入れ道具おこしいれどうぐ

御駕籠おかごは武家の嫁入り道具ではありませんが、たくさんの嫁入り道具とともに、嫁ぎ先まで移動するための、今でいうタクシーのような乗り物。

ひな壇にはストーリーがあることを象徴するかのように、お姫様が大勢のお供を引き連れて、嫁ぎ先へと移動する婚礼行列を表しています。

こちらも並び順に厳密な決まりはありませんが、向かって左に御駕籠おかご、中央に重箱、右に牛車ぎっしゃ御所車ごしょぐるま)が置かれていることが多いです。

今に受け継がれているひな人形には、こうした様々なストーリーがあるのがわかりますね。

現在の住宅事情からいうと5段や7段のひな壇は難しいかもしれません。そんな場合は1段のみの省スペースのものでもじゅうぶんです。
サイドボードの上など、リビングの家族の目の届く場所に飾って、桃の節句をお祝いしましょう!
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ひな祭りの「定番食べ物」の意味

ひな祭りはひな人形だけではありません。

ひな祭りのお菓子や料理を見ても、「厄除け」の意味が込められていることがわかります。

菱餅(ひしもち)

菱餅

ひな祭りの定番お菓子といえばやはり「菱餅ひしもち」ですね!

学校給食でもひな祭り献立に、カラフルな菱餅が出される学校もあるようです。

菱餅といえば「赤」「白」「緑」の三段重ねですが、その色にそれぞれの意味が込められています。

成分効能思想
赤いクチナシ解毒作用魔除けの意味を持つ。
ひしの実血圧を下げる清浄。子孫繁栄や長寿になれる。
草餅(ヨモギの葉)万能薬草香りで厄を祓う。
赤は桃、白は雪、緑は大地を意味し、自然のエネルギーを得られるようにという願いが込められているという説もあります。

ひなあられ

ひなあられ

ひな祭りの代表的なお菓子ですね。

本来は、菱餅を細かく切って揚げたものが、ひなあられです。

そのため、本来のいわれは菱餅と同じです。

しかし現在では、4色となってそれぞれ四季を表しているとされ、一年を通して女の子の幸せを祈るという意味が込められているそうです。

ちらし寿司

ちらし寿司

お菓子だけではありません。ひな祭りといえば「ちらし寿司」を忘れてはいけません。

海老の赤は魔除け、れんこんは穴が開いていて見通しが良いなど、ちらし寿司に入っている具が縁起物であり、女の子の幸せを、華やかな彩りでお祝いするひな祭りの定番料理となっています。

はまぐりのお吸い物

はまぐりのお吸い物

ちょうど旬を迎えるはまぐりのお吸い物。これぞ春を実感する味覚ですね!

はまぐりがひな祭りにぴったりなのには、明快な理由がありました。

はまぐりは、貝殻が2つシッカリと合わさっていることから、良いパートナーに恵まれるという縁起ものだそうです。

まさに女の子の幸せを願う祭りにふさわしい料理ですね。

白酒

ひな祭り白酒

古来中国では、災厄をよせつけないとされる香りの強い桃の花びらが入った「桃花酒とうかしゅ」を飲む風習がありましたが、日本では代わりに甘い「白酒」になりました。

江戸時代、甘い白酒は女性に大変好まれ、人気を博したそうです。

また白という貞淑ていしゅくを象徴する色が、女性にふさわしいとして支持された側面もあります。

ちなみに白酒は、みりんに蒸した米や麹を混ぜて熟成させたお酒ですので、見た目そっくりの甘酒とは全くの別物です。

ひな祭りは現在のように子供中心のお祭りという解釈ではなく、昔は女性が嫁入り道具に持っていき、何歳になっても祝うものでした。未成年のお子様には甘酒がおすすめです。
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おわりに

我が子の健やかな成長を願うひな祭りの行事は、古く平安時代から行われた日本の伝統的な祭典です。

そんな年に一度のひな祭りには、いつの世もかわらぬ、親から子への愛が込められていますね。

親子でのひな祭りでの思い出は、小さな子供に大きな影響を与え、忘れられない親の愛の記憶として心に刻まれることでしょう。

また、ひな祭りは子供だけのお祭りではなく、何歳になっても祝うことが推奨されていますので、ぜひ一緒にお祝いして、家族で楽しいひと時をお過ごしくださいね。

 

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