江戸時代に離婚したい人はこうしていた!江戸時代の離婚率とその事情も紹介!

昔と比べて、今は「離婚」という言葉をよく聞くようになりましたね。

厚生労働省が発表した統計によると、なんと「約2分に1組」が離婚している事実が浮かび上がってきています。

ですが実は、江戸時代もかなり離婚率が高かったと言われています!

そこで「江戸時代」の人々は、離婚したいときはどうしていたのか、その気になる理由・事情に関してご紹介したいと思います。

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江戸時代の離婚率&再婚率がすごい

浴衣の女性と男性

現代は多様性の時代。

離婚・再婚は人生の選択肢のひとつとして、ごく自然に受け入れられるようになってきましたね。

では、江戸時代の離婚率はどうだったのでしょうか。

調べてみたところ、江戸時代の離婚率は4.8%という調査結果でした。

現在の日本の離婚率が1.6%ですから、なんと今の3倍の数値であり、武家においては5倍です!

ちなみに現在の世界離婚率ランキング1位は、ロシアの4.5%ですが、それでもまだまだ江戸の離婚率の方が上回っていますよね。

このことから、当時の江戸時代は非常に高い離婚率だったことがわかりますね!

それだけではありません。

さらに再婚率においても世界一です。

土佐藩では「7回以上離婚することは許さない」なんていう御触れが出ていたほどですから、離婚だけでなく、再婚もかなり多かったことが伺えます。

なぜなら、江戸時代の結婚観として、そもそも生涯添い遂げるなんていう概念が日本にはまだなかったのです。

離婚=不幸なイメージではなく、更なるステップとして離婚・再婚するケースが多かったということです。

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江戸時代は妻から離婚を言い渡せない仕組みだった

江戸時代の城下町

時代劇などで、冷たい夫に泣きながらすがり、一途な妻は悲し気に家を出ていく、そんなシーンを一度は見たことがありませんか?

女は夫に従い、老いたら子に従わなければならない・・・まるで不自由で弱い立場!

封建社会での男尊女卑のイメージそのものです。

さらに、男から女へ離婚を請求することはできるのに、女から離婚を請求することはできない時代でした。なんてひどい!

最低男と離婚したくても、離婚できない女性がたくさんいたのではないかと思いますよね。

・・・いやいや、それもこれも時代劇や小説が作り上げた男尊女卑の世界観のイメージです。

実はむしろ、愛想つかした妻の方から「オイ夫、さっさと離縁状(今の離婚届)よこしな」と言われて書かせられていたのではないか、と考えられているのです。

ちなみにinfoseekの調べで、現代の『離婚の切り出したのはどちらから?』というアンケートの結果、

  • 「女性から切り出した」80.5%
  • 「男性から切り出した」51.9%

となっており、現代の離婚は圧倒的に女性から切り出しているようですね。

江戸時代においても同じで、女性から離婚を望むケースが多かったという実態が記録されています。

つまり江戸時代の離婚はむしろ、女性上位で女性主導であったということが明らかです!

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最低夫と別れられる、救いの砦があった!

障子を開ける

いつの時代も、DV、モラハラ、浮気、ギャンブル、借金など・・・色々な男性がいるわけですが、そんな男性に限って離婚に応じてくれないですよね。

そんな亭主を持つ妻はどうしていたの?

ご安心ください。そうした妻たちを救ってくれる方法が2つありました。

①武家・神職・山伏などでかくまってもらう

妻側が離婚したい場合、社会的権威のある人々の屋敷へ逃げ駆け込む例が多く、そうなると男は立場がなくなるため、ほとんどは速やかに離婚を成立させることができたそうです。

実は文献によると、江戸時代の離婚率の高さは、夫側が請求する離婚ではなく、妻による駆け込み離婚が多かったと考えられています。

②政府公認の「縁切り寺」

また最終手段として、妻が逃げ込める、政府公認の「縁切り寺」というものもありました。

今でいう、ストーカーDV夫から逃げるための、公的シェルターのような役目があったようです。

寺役人に妻側の訴えが認められれば離婚させてくれますし、夫が拒否しても、妻が3年「縁切り寺」にこもれば、強制的に離婚を成立させてくれるのです。

縁起り寺へこもっている間は、女性は寺の日々の雑務をこなしながら過ごしていたそうです。

その間は滞在費としてお金もかかってしまうのですが、酷い夫と離婚するためなら苦ではなかったかもしれませんね。

女性のその後については、残念ながらほとんど記録に残っていませんが、きっと幸せな第二の人生を送ることができたのではないでしょうか。

縁切り寺の制度は、明治4年、女性に離婚請求権が認められたことで、ようやく終わりを迎えました。

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江戸時代の離婚の方法は意外とシンプル!

紅葉もみじ

かなり離婚率が高かったといわれている江戸時代。

では離婚したくなったら、どうやって離婚していたのでしょうか?

離縁状を妻に渡すだけ

その方法は至ってシンプルで、男が女に「離縁状」を渡すことで成立です。

ただそれだけじゃ一方的過ぎますので、1つ条件があります。

やはりこの離縁状には、受け取った妻の同意が必須であることでした。

離縁状=「三行半」

三行半みくだりはんを突きつける」なんて、離婚にピッタリな言葉がありますよね。

この三行半とは、まさに離縁状のことです。

紙に、だいたい3行ちょっとの文言が書かれているので、そういう名前がつきました。

どんなことが書かれているのでしょうか?

離婚するのはこちらの都合です。離婚したあとは、誰と再婚しても構いません。

という感じの内容が書かれています。

この離縁状は、「再婚許可証」にもなるのです。

なのでこの離縁状がないと、離婚も再婚もできないのです。

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江戸時代はなぜ離婚率が高かったの?

江戸時代はそもそも離婚率が高かったわけですが、それには大きく分けて3の理由があります。

①江戸の女子は、男子を選び放題!

浴衣の女性と男性2

江戸時代の大都会「江戸」は、女性に比べて、男性の人口比がとても高いものでした。

なぜなら、経済発展が急激に上昇した時代ですから、地方から大工や労働者が多く流れ込んできていたり、加えて、参勤交代で江戸にのぼってくる単身赴任の武士も多かったそうです。

例えば男子校に、少数の女子がいたら、そりゃあお顔が多少イマイチでもモテますよね。

ちなみに江戸の女性の結婚適齢期は、まだお年頃の10代です。

江戸時代は女性にとっては容易に結婚でき、たとえ離婚しても、いくらでも他の男性がいたので、とっかえひっかえ結婚離婚を繰り返している例もあったそうです。

なかには、将来夫に飽きたらすぐに離婚できるよう、結婚前から夫に離縁状を書いてもらっておく、なんてこともあったそうです。

もっとひどいのは、強引に離縁状を夫に書かせ、他の男と家を出ていく女性もいたそうですから、信じられません。

時代劇のあの女性の悲壮感とはかけ離れすぎて、もう笑うしかありません。

ちなみに江戸時代、女性にモテた職業は次の3つだそうです。

江戸時代にモテた職業 TOP3
  • 火消しの頭・・カッコいい
  • 力士・・強い男
  • 与力・・お金持ち

「江戸の三男」と呼ばれた、カッコよくて強くてお金持ち。これは江戸娘にモテて当然ですね!

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②江戸時代は離婚・再婚は普通だった

コスモス

ただ誤解をしないでほしいのは、江戸時代は、今の概念と違って、町人も農民も結婚率は50%程度で、生涯独身でいる人が半数でした。

その一方で、結婚した人は、そもそも生涯添い遂げるなんていう概念が日本にはまだなかったのです。

相性が合わないな、もう嫌だな、と感じたら、離婚すれば良いという柔軟な選択肢が普通にあったということです。

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③江戸時代の女性は自立していた

ユリの花

当時の結婚は、いわゆる経済共同体であり、子どもを生むことで貴重な労働力にすることを第一に考えられていました。

もちろん人間ですから、愛し合って生涯沿い遂げた夫婦もいたと思いますが、どちらかというと結婚は、今でいう就職や共同起業のようなものでした。

そこで離婚となる背景には、妻が夫の経済に依存しておらず、経済的にも精神的にも自立していたことも理由の1つといわれています。

現在だったら、夫と別れたら金銭面が不安で、離婚に踏みこめずにいる妻たちは多いのはないでしょうか?

江戸時代からまだ数百年。当時の女性たちのように、「経済的な自立」を早期に実現できるよう計画を立てておくことが大切かもしれませんね。

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江戸時代の離婚理由は何だったの?

囲炉裏

時代が違えば、離婚理由も違うのでしょうか?

離縁状には、離婚理由については「一身上の都合により」みたいな文言が多く、建前しか書かれていません。

なぜなら、前述した通り、これは再婚許可証の役割を果たしますので、いちいち本当の理由を書かれてしまっては、次の相手と再婚するのが難しくなってしまうからです。

そこで縁切り寺の調停で提出された、妻側の離婚理由の内容については、「夫の稼ぎが少ない」「夫の暴力」というものが大半でした。

また、「夫の浮気」「出稼ぎに行った夫が失踪して生活に困窮している」などという理由や、「老いた夫の介護が嫌」というのもあり、こうして見てみるとなんだか今と変わりませんね。

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江戸時代の離婚でのお金の問題

ブタの貯金箱

男性が離縁状を出す場合は、男性は持参金(結納金や嫁入り道具など)を全て妻に返却しなければなりませんでした。

一時預かりしているマンションの敷金みたいなものでしょうか。

もし、婚姻中に夫が少しでもその持参金に手をつけようものなら、それだけで正当な離婚理由になったそうです。

さらに、妻側が何も落ち度がない場合は、慰謝料も払う必要がありました。

こうして見ると、離婚はちょっと妻に有利な気がしますね。

だからこそ「お金を払いたくないから離婚しない」と言う夫も多く、そんな場合は、仕方なくお金はあきらめてでも離縁状を書いてもらう妻も多かったようです。

妻にしてみれば、お金を諦めてでも別れたい男だった、ということになりますね。

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江戸時代に離婚したら子どもはどうなるの?

四つ葉のクローバー

現代では、妻が子どもを引き取るケースが多いような印象がありますよね。

江戸時代は、子どもは夫が引き取るのが普通だったようです。

なぜなら、家の存続が最も重要視されていたためです。

このことからも、女性の離婚再婚が容易になる理由の1つになりそうですね。

ちなみに子孫を残す必要のない人、例えば本家ではない親族や隷属農民などの使用人たちは、そもそも生涯未婚で過ごした人が過半数だったようです。

そういった人と離婚する場合は夫側の経済環境にもよりますが、3人以上の子どもを抱えながらシングルマザーとして生きていく女性も、もちろんいたそうです。

時代劇のなかの光景と違って、江戸時代はそれぞれが多様な価値観の中で、それぞれの生き方を自由に謳歌していた、まさに現代の進化版のような世界だったようですね!

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おわりに

江戸時代の離縁状は、今でいう離婚届。最近では「卒論」なんて言うそうですね。

江戸時代の離婚率は現代より高かったといわれていますが、その理由には再婚のしやすさもあったことが大きいようです。

近年は熟年離婚などが増えているといわれていますが、江戸時代と違って、女性1人が働いてじゅうぶんな収入を得るのは難しいと言われています。

今の時代に離婚届を提出するのかは、昔と違って慎重に決断する必要があるようです。

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