お月見と言ったら十五夜を思い浮かべる人が多いと思います。
しかし実は十五夜以外にもお月見をする日があります。
それは十三夜です。
始めて聞いた、という方も多いのではないでしょうか?
ここでは十三夜の意味や由来などをご紹介していきます。
十三夜とは

日本の秋は、まるで絵画のように鮮やかです。
高く澄み渡る空の下、木々は日ごとに装いを変え、燃えるような彩りで大地を染め上げていきます。
しかし、この美しき季節は刹那の夢。気づけば色彩は静かに薄れ、やがて長く厳しい冬が大地を支配します。
そんな移ろいゆく秋の只中に、ひときわ心を惹きつける夜があります。
それは――中天に凛と昇る月を愛でる「十三夜」。
一年に数度しか出会えぬ奇跡のように、この夜の月は「十五夜」に次ぐ、二番目に美しい光を放つといわれています。
「十五夜」の華やぎからおよそひと月。
秋が深まり、静けさを身に纏った空に浮かぶ「十三夜」は、どこかしっとりとした陰影を湛え、見る者の胸に余韻を刻みます。
十三夜は何をする日なの?
十三夜は、すすきを飾り、十五夜のようにお団子や秋の実りをお供えして、お月さまを眺める日です。
この時期はちょうど稲刈りが終わる頃でもあり、澄んだ秋の夜空の月を愛でながら、豊かな収穫への感謝を込めて祝う日でもあります。
実は、この十三夜の風習は中国から伝わった十五夜のお月見よりも古く、もともと日本にあった大切な風習なのです。
今では少しずつ忘れられがちですが、十三夜の月は「二度目のお月見」としてとても親しまれ、「片見月にならないように、十五夜と十三夜は両方楽しむとよい」と言われています。
ほんのひととき、すすきを飾り、やさしい月明かりの下で感謝の心を思い出す。
十三夜は、そんなぬくもりに満ちた日なのです。
十三夜の歴史

かつて中国から伝わった「十五夜」の風習に対し、日本で新たに生まれたのが「十三夜」でした。
延喜十九年(919年)、宮中で十五夜の宴に続き、陰暦九月十三日の月を愛でる行事が記録されたのが始まりとされています。
しかし、この「十三夜」は、やがて宮廷を超えて庶民の暮らしの中に深く根を下ろし、十五夜以上に豊かに広がっていきました。――それは単なる月見ではなく、生活に直結した祈りの儀式であったからです。
その夜に昇る月の姿は、翌年の作物の吉凶を告げる“しるし”。
十五夜の月が大麦を、十三夜の月が小麦を見守ると信じられ、晴れ渡る夜空に輝く月は、豊穣の約束そのものとして仰がれました。
農具に刻まれた汗と祈りは、この一夜の月明かりに照らされ、喜びと安堵、そして来る年への希望へと昇華していったのです。
中国の「満月を愛でる雅な風習」に対し、日本の庶民は収穫の喜びと神への感謝を託して、十三夜を月に祈りました。
その光は、まさに命を育む大地と人々の信仰を結びつける神秘そのものでした。
現代では、その風習は多く語られることもなく、昔話のように遠い存在となってしまいました。
しかし、いまもなお、変わることなく澄み渡る輝きで夜空に浮かぶ十三夜の月に目を向ければ、そこに――千年以上前と同じ祈りと希望を重ね見ることができるでしょう。
2025年の十三夜はいつ?

お月見ができる「十三夜」はいつなのでしょうか。
2025年は11月2日(日)が十三夜です。
十三夜は、満月よりも左側が少し欠けた月を見ることができます。
それから満月になるのは3日後の11月5日(水)です。
2024年の十三夜はこのような感じでした。
地域によっては一部に雲がかかるところもありましたが、多くの場所で十三夜の月を楽しむことができました。
十五夜の頃は秋雨前線の影響で天気が崩れやすいのに対し、十三夜は比較的晴れることが多く、「十三夜に曇りなし」と言い伝えられるほどです。
十三夜は満月じゃない?

十三夜の月――それは、決して満ちることのない月です。
古来、日本人はその「欠け」を美ととらえ、そこはかとない趣を感じ取ってきました。
「月は、満ちゆくよりも、欠けゆくほうが風情がある」
清少納言の言葉が示すとおり、完全さよりも、わずかな不足の中にこそ、心を揺さぶる美しさが宿るのです。
それはすなわち――「不足の美」「未完成の美」「余白の美」「引き算の美学」。
西洋が均整と完璧を追い求めてきたのに対し、日本人はあえて欠けを抱きしめ、その不完全を自らの心の中で補うことで、より深い美を完成させてきました。
月の影になった部分ですら、私たちの感性を引き立てるための大切な余白だったのです。
こうした美意識は、十三夜の月にとどまりません。
絵画の余白、建築の簡素、工芸品のたおやかさ、和歌の省略――そのすべてに「欠けがもたらす美」が息づいています。
それは、四季のめぐりゆく自然の中で、うつろいを受け入れ、移ろいに心を寄せながら生きてきた日本人ならではの感性の結晶といえるでしょう。
現代の日本文化は、世界との交流のなかで少しずつ姿を変えながらも、この「不完全を愛する美意識」だけは、揺るぎなく受け継がれています。そして今や、その感覚は多くの国の人々からも深い共感を呼ぶものとなっています。
だからこそ――今年の十三夜の月を見上げたとき、ただ美しいと感じるだけでなく、千年前の人々の心と、今を生きる自分の感性とを重ね合わせてみてください。
「なぜ、欠けた月のほうが美しいのか?」
その答えは、夜空にぽっかりと浮かぶ光と影のあいだに、きっと見えてくるはずです。
十三夜は毎年日にちが違う

旧暦の9月13日を「十三夜」と呼びます。
ですので新暦に置き換えると、十三夜はこのような日程になります。
年 | 十三夜 | 満月 |
---|---|---|
2025年 | 11月2日 | 11月5日 22時19分 |
2026年 | 10月23日 | 10月26日 13時12分 |
2027年 | 10月12日 | 10月15日 22時47分 |
2028年 | 10月30日 | 11月2日 18時17分 |
2029年 | 10月20日 | 10月22日 18時28分 |
2030年 | 10月9日 | 10月11日 19時47分 |
2031年 | 10月28日 | 10月30日 16時33分 |
2032年 | 10月16日 | 10月19日 3時58分 |
旧暦では9月13日と固定されていますが、新暦では毎年日にちが違い、10月初旬~下旬頃にあたります。
これは、旧暦は月の満ち欠けによって月日を数えることを基準にしていたので、現在の太陽の進行を基準にしている新暦とはズレが生じるためです。
十五夜と同じで、十三夜を楽しみたい場合は、事前に暦を確認しておくことが大切ですね。
十三夜が2回来る!?
旧暦では、季節とのずれを調整するためにおよそ3年に1度、1年間が13か月になる「閏月」が挿入されます。
例えば、9月と10月の間に「閏9月」が入ると、本来の9月の十三夜に加えて、閏9月にも十三夜が巡ってきます。
この2度目の十三夜は「後の十三夜」と呼ばれます。
「後の十三夜」が現れるのは非常に稀で、100年から200年に一度しか起こらない現象です。
実際に、2014年には171年ぶりに閏9月が入り、「後の十三夜」を観ることができました。
その前にこの現象があったのは1843年(天保14年)、黒船来航のわずか10年前のことでした。
後の十三夜はどんな月なの?
閏月がある年でも、月の明るさや大きさが特別に変わるわけではありません。
見える月は、十三夜と同じように少し欠けた姿のままです。
とはいえ、このような希少なタイミングに立ち会えた方にとっては、まるで幻に出会ったかのような、不思議で特別な体験となったことでしょう。
次に後の十三夜が見れるのはいつ?
もし現在の暦法がこのまま続いたと仮定すれば、次にこの特別な十三夜に出会えるのは――2109年。
今からおよそ百年先の出来事です。私たちが生きてその光景を目にするのは、残念ながらほとんど不可能でしょう。
けれども想像してみてください。
百年後、空をめぐる月そのものは何一つ変わらず、今と同じ輝きで未来の夜空に浮かんでいるのです。
その月を見上げた時、人々が「ほんの少し欠けた月の美」を感じ取り、心の奥底に余情を抱く――その感性が、確かに受け継がれていることを。
たとえ時代が進み、宇宙をめぐる権利を誰が持つかという声が飛び交ったとしても、月の本質は誰のものでもありません。
願わくは2109年の十三夜を見上げる人々の心に、千年前から連なる日本人の「不完全を美とするまなざし」が生き続けていてほしいものですね。
十三夜のお供え物は?

十三夜も、十五夜と同じようにお供え物をし、お月見をします。
お供え物は、十五夜の時と似ています。
月見団子は十五夜では15個を供えるのに対し、十三夜では13個を供えるのが一般的です。
並べ方は、下段に8個・中段に4個・最上段に1個を置きます。
果物や野菜は、この時期に収穫されるものが選ばれ、特に 栗や枝豆(または大豆) が代表的なお供え物として知られています。
すすきを飾り、部屋の明かりを落とせば、より一層お月見らしい雰囲気を楽しむことができます。
詳しいお月見のやり方は、以下の十五夜の記事をご参照下さい。
- 2025年のお月見はいつ?十五夜の意味や由来、月見団子のレシピも紹介します
片見月とは?

十五夜に月を愛でたなら、翌月の十三夜にも同じように月を仰ぐ――それが古くからの習わしでした。
なぜなら、十五夜だけを楽しむことは「片見月」と呼ばれ、不吉とされたからです。
人々は完全な巡りを尊び、両方の名月を欠かさず見ることに意味を見いだしていました。
江戸の世ともなれば、その風習はさらに徹底します。
十五夜と十三夜、どちらも同じ場所で月を眺めることが望ましいとされ、十五夜によそで月を仰いだ者は、十三夜にもわざわざその場所を訪れねばなりませんでした。
あまりの徹底ぶりに、「それなら家にいた方が楽だ」と、両日を引きこもって過ごす者まで現れたと伝えられています。
そして――商魂たくましい江戸の街では、この風習さえも巧みに利用されました。
吉原遊郭では、十五夜と十三夜を「紋日」と定め、二度目の来訪を促す絶好の口実としたのです。
客たちは“片見月を避ける”という大義名分のもと、遊郭に足を運び、月を眺めるよりも散財にいそしんだといいます。
名月をめぐる風習が、人の心を動かし、やがては営業戦略にまで昇華する――そこには、実に江戸らしい機知と逞しさが光ります。
思えばこの柔軟で創意に満ちた発想こそ、日本の商い文化、経営哲学の源流に連なっているのかもしれませんね。
十三夜の別名とは

十三夜にはいくつかの別名があります。
関連性や占いなど、日本らしい味わい豊かな名前がありますよ。
「栗名月」「豆名月」
ちょうどこの時期、栗や枝豆が実り、食べ頃を迎えるため、「栗名月」「豆名月」とも呼ばれています。
その名の通り、十三夜のお月見には、収穫された栗や枝豆を供えるのが習わしとなり、月明かりに感謝を込めて人々は旬の恵みをお供えしました。
「後の名月」
十五夜のことを「中秋の名月」と呼ぶのに対して、十三夜は「後の名月」とも呼ばれています。
中秋の名月の後に巡ってくるもうひとつの名月であることから、その名の由来とされています。
「小麦の名月」
十三夜の夜の月の出具合によって、翌年の小麦の豊作、凶作を占う風習からきています。
主に新潟県の佐渡や長野県の北安曇郡などでそのような占いが行われていたとされ、その地方で呼ばれる別名です。
樋口一葉の「十三夜」とは?
出典;http://suwachiharu.seesaa.net
「十三夜」と聞いて、樋口一葉の短編小説を思い浮かべる方も少なくないでしょう。
この作品は、日本文学史に深い足跡を残す傑作と称えられています。
物語は、夫の仕打ちに耐えかね、ついに離縁を決意した一人の女性を描きます。
しかし、愛する我が子を手放す恐怖に心を揺らし、結局その道を踏み切ることはできない。
さらに運命は残酷にも、かつて心を寄せた初恋の男性との再会を許しますが、想いを告げることのないまま、彼女は再び別れの道を歩んでいくのです。
――満ち足らぬ人生の哀しみ。自ら選べぬ宿命の切なさ。
その姿を、憂いを帯びた十三夜の月が静かに見下ろしています。
煌々と輝く光に照らされながらも、風になびく柳は寂寥を深め、読む者の胸を締めつけます。
この「十三夜」の世界観は、どこか十五夜の朗らかな明月では生まれ得なかった叙情の結晶。影と光が絶妙に織りなすその描写は、まさに詩情そのものといえるでしょう。
秋の夜長――もし一葉の「十三夜」を手にとり読みふければ、儚き月と人の運命が重なり合い、静かな感動が胸の奥に灯るはずです。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
十三夜は、十五夜と同じく名月を鑑賞する習慣です。
澄んだ大気に包まれ、美しい月を眺めたり、虫の声に耳を傾けたりしながら、ゆったりと心を癒してみてはいかがでしょうか。