クリスマスを実施している家庭はおよそ6割といわれ、子どもが独立した家庭でも半数が実施しているというデータがあります。
そんな人気のクリスマスですが、そもそも日本にクリスマスがやってきた起源は、どのようなものだったのでしょうか?
今回は、日本にクリスマスがやってきた起源や歴史、また、日本と海外との違いについてもご紹介したいと思います!
日本のクリスマスの歴史は?
もともとクリスマスはキリスト教の行事なのに、いつから信者でもない日本人が祝うようになったのでしょう?
その歴史を辿ってみましょう。
日本人がクリスマスに初参加!
1565年(永禄8年)に、ポルトガル人で日本に布教にきていた宣教師ルイス・フロイスの招きによって、戦国武将の三好義継と、その家来の松永久秀が、キリスト教徒のクリスマス・イブの祝祭に参加したのが、最初の記録として残されています。
しかし1612年、江戸幕府がキリスト教を禁教してしまったので、クリスマスは消滅してしまいました。
明治時代のクリスマスは奇妙な寄席演芸
その後の1873年(明治6年)、禁教令は解かれたものの、一般庶民がクリスマスを祝うという習慣はありませんでした。
古いものでは1876年(明治9年)に、キリスト教社会事業家の原胤明氏によってつくられた女学校で行われたという記録が残っています。
1886年(明治19年)、銀座の高級スーパー『明治屋』が、横浜に日本初のクリスマスツリーを飾り始めました。
このクリスマスツリーは横浜で外国人船員のために準備したものでしたが、新しい西洋文化に触れる機会として多くの日本人が見物に訪れたそうです。
明治屋はそれから1900年(明治33年)、銀座にお店を移設しましたが、そこでは年末の大売り出しとセットで建物にクリスマスイルミネーションを飾り、話題を呼びました。
これがひとつの転機となり、新聞でも街のクリスマスの様子をレポートする記事が増えていきます。
1910年(明治43年)には、帝国ホテルで行われたクリスマスの催しについて報じられたのですが、その内容は「太神楽」や心中もののお芝居「お半長」など、まさにトンチンカンな演し物ばかり…。
出典;http://www.lares.dti.ne.jp
クリスチャンでもない日本人たち主催のクリスマスは、本来の宗教的意味が欠落したものが行われていたようです。
この頃はまだ、クリスマスの本質がじゅうぶんに広まっていなかったこともあり、認知度の低さゆえに「日本化したクリスマス」が根付き始めたとされています。
ちなみに、同年に創業した『不二家』は、創業当初からクリスマスのデコレーションケーキを販売し始めたようですよ。さすがの先見力ですね!
大正時代のクリスマスは子どものお楽しみデーに
出典;https://ja.wikipedia.org
大正時代に創刊された、子ども向け雑誌や少女雑誌では、12月号にクリスマス特集として、クリスマスにまつわる話や挿絵がたくさん掲載されるようになりました。
また女性向け月刊誌『主婦の友』では、一月号にクリスマス料理として、鶏の丸焼きやクッキーなどのレシピが掲載されるようにもなりました。
それから年を追うごとに、プレゼント用の小物の作り方など、クリスマス用の記事が増えていったようです。
そして大正天皇が1926年(大正15年)12月25日に崩御されたため、12月25日は「大正天皇祭」として祝日となりました。
12月25日が休日となったことでクリスマスは定着し、大人も楽しむ行事になっていったようです。
東京のカフェや喫茶店でも、クリスマスの特別メニューが提供されるようになり、店員たちもクリスマスの仮装をしていたそうですよ。
昭和初期(戦前)は飲み屋街の遊興クリスマス
昭和に入ると、教会でのクリスマス風景はほとんど報道されなくなります。
かつて教会で行われていた子ども向けのクリスマス祝会は、企業が主催するようになり、お菓子たっぷりのお土産つきのお楽しみ会として開かれるようになっていったのです。
1928年(昭和3年)の朝日新聞の記事によれば、「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに…」と書かれていますが、全てがそうだったとは言えないようです。
というのも、実は昭和に入ってのクリスマスは、家庭的な行事というよりは、主に大人の飲み屋街のクリスマス風景として栄えていたからです。
紙のとんがり帽子をかぶり、酔っ払いのドンチャン騒ぎに代表されるのが当時のクリスマスでした。
その大きな原因はやはり、イブには徹夜で騒いでも次の日は「大正天皇祭」で休日だったからと考えられています。
そして1936年(昭和11年)の朝日新聞には、「クリスマスが本質的な意義から遠ざかって、余興化される傾向にあり、ホテルやダンスホールでは年に一度のかきいれどきだと、催しの豪華版をくりひろげる…」などとレポートされています。
昭和後期(戦後)は「一家団らん型」クリスマスへ定着
戦後になると、ネオン街のクリスマス全盛期も下火になり、それと反比例するかたちで、家庭でのクリスマスツリーの売れ行きが上昇していきました。
大人が飲み屋街でのドンチャン騒ぎから「家で子ども中心」のクリスマスへと、その性格を大きく変えたのが、今の日本のクリスマスです。
現在でも、決して派手ではありませんが、心のこもったクリスマス会が多くの家庭で行われていますね。
お正月と違って、日本では伝統も格式もないだけに、楽しければよいと気楽に割り切れることも、人気のひとつなのかもしれませんね!
日本と外国のクリスマスの過ごし方の違いは?
実は、世界中で行われている平均的なクリスマスのお祝いの仕方は、さまざまな国の風習がミックスされているものです。
クリスマスツリーのもみの木はドイツ、カードを贈るのはイギリス、七面鳥を食べるのはアメリカに渡ったオランダ人の習慣、といった具合です。
そこでこの項では、気になる外国のクリスマスの過ごし方を、いくつかご紹介したいと思います。
日本のクリスマスの過ごし方
一般的な日本のクリスマスというと、家族みんなでチキンやケーキを食べて過ごし、サンタさんに会える日を楽しみにしている子どもたちは「おやすみなさい」をします。
家族だけでなく、友人や恋人たちとパーティをしたり、プレゼント交換をしたりして、クリスマスらしい演出を楽しんでいますね。
外国では11月末からクリスマスモード
では、キリスト教徒の多い欧米諸国ではどんなクリスマスを過ごしているのでしょうか?
まず、クリスマス前の4週間を『アドベント』と呼び、イエスさまが降臨するまでの準備期間があります。
この期間、家々のドアにはクリスマスリース、そして居間にはクリスマスツリーが飾られ、親しい人へはクリスマスカードを送ります。
街の広場は、雑貨や食べ物の露店がずらりと並び、オーナメントやプレゼントを買い求める人々で賑わいます。
また、日付を一つずつ開けていく「アドベントカレンダー」という仕掛けつきのカレンダーも愛用され、クリスマスまでの期間をカウントダウンしながら楽しみます。
日本でいうお正月の「もういくつ寝るとお正月」のように、希望と期待がいっぱいの4週間のようです。
そして待ちに待ったクリスマスの12月25日前後は「クリスマス休暇」というものがあり、ほとんどの企業は連休を取ります。
イブの夜、クリスチャンたちは教会に行ってミサをしたあと、家族や親せきが集まって、大勢でクリスマスディナーを食べます。
ちょうど日本のお正月やお盆のように、遠く離れた親兄弟や、親戚が一度に集まる日です。
クリスマスディナーの定番は、七面鳥にクランベリーソースを添え、パンプキンパイ、フルーツケーキがつきもののようです。
クリスマスプレゼントは、イブのうちに家族全員分をクリスマスツリーの下に置いておき、翌日25日の朝に、全員で開封します。
プレゼントは1人に1個、なんて決まりはなくて、1人でたくさんもらうこともあるんだって!日本のお年玉に近い感覚だね!
キリスト教徒の多いほかの国々でも、さまざまなクリスマスの慣習があるそうですので、それぞれの国のクリスマスを調べてみるのも面白いかもしれませんね!
日本のクリスマスを見た外国人が驚いたこととは?
欧米のクリスマスは日本のお正月のようなものですから、日本のクリスマスに外国人は驚くことだらけかもしれませんね!
その一部は、このようなものだそうです。
日本のクリスマスは伝統にしばられないぶん、人それぞれの創意工夫が生きる行事なのかもしれませんね。
なんの強制力もない中で、お正月行事に次ぐこの人気ぶりは、ただひたすらに、「楽しい」行事であることでしょう。
これからも日本独自の「メリークリスマス」を楽しみましょう!
おわりに
宗教的儀式であるクリスマスですが、日本では時代ととに独自の進化を遂げ、今のような楽しいイベントのひとつになったのですね。
クリスマスツリーを飾りながら、子ども達に外国のクリスマスの過ごし方を伝えるのも有意義ではないでしょうか。
どうぞ今年も、ご家族や友達や大切な人たちと、美味しいケーキと一緒に素敵なクリスマスをお過ごしくださいね!